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「教養世代」と「実学世代」

山口 、世代間の断絶について触れました。それとも関係することですが、「この国は衰退しているのではないか」という衰退論がささやかれる時期は、歴史的に見ても、その国はまだ健全であることが多いのです。

むしろ「衰退論をやめて、もっと元気の出るような話をしろ」という声が社会全体の空気になり始めたとき、その国はすでに衰退期に入っているということが、歴史の世界ではよく言われています。その意味で、「断絶があることを指摘するな」とか「そういう指摘自体が断絶を生むんだ」という主張は、それに似た議論だなと感じています。

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もう1つ触れておきたいのは、いわゆる「教養世代」の消滅で、1960年代ぐらいまでは学生なら、マルクスの『資本論』や少なくとも『共産党宣言』ぐらいは読んでおけ、という時代がありました。

ほかにも西田幾多郎の『善の研究』を始め、大学生なら読んでおかなければならないリベラルアーツの本があって、それを読んでいないのは恥ずかしいことだと言われるという風潮が、規範的な文化としてありました。

ところが、この「教養世代」が1970年代の前半で完全に死に絶え、大学生の知的水準はどんどん低下していったのです。

このあと「教養世代」は結局復活しなかったのですが、その代わりとして、90年代以降になって「実学世代」が勃興します。「実学世代」とは経営学や会計などの「手っ取り早く年収を上げるための学問」を重視する世代で、社会の中で生きていくために必要なことはきちんと学んでおかなければいけないと考え、大学である程度勉強してきた人たちが増えてきたのです。

そうした流れの中で、今の20代、30代の人たちは、ある種の拝金主義に染まりがちなところがあって、「教養なんて関係ない、とにかく年収の高い人が偉いんだ」という極端な思想に振れている側面がないとは言えません。

最近脚光を浴びている臨床心理学者のメグ・ジェイは20代を「Defining Decade」、つまり「人生を決定づける10年間」と指摘し、言うなれば20代は「人生を生きるためのOS」を作る時期だと主張しています。

1047007(Photo by Craig Barritt/Getty Images for Cosmopolitan Magazine and WME Live)

2018年時点で50代、60代になっているオッサンたちは、70年代前半に絶滅した「教養世代」と90年代以降に勃興した「実学世代」のはざまに発生した知的な空白の期間、すなわち「知的真空の時代」の中で若手時代を過ごしたということは指摘しておきたいと思います。

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成長と老化は同じメカニズム

「教養世代」が絶滅したあとに若手時代を過ごした50代、60代のオッサンたちは、世代全体としては、それほど有意義な体験をしてこなかったかもしれません。でも中には優秀な人もいるわけで、そういう人たちがうまく組織のトップに君臨していれば問題ないのではないかという議論もあると思います。

それはそのとおりなのですが、ちょっと考えなければいけないのが、その組織もまた劣化しているということです。

つまり、神戸市や横浜市の教育委員会等によるいじめ調査結果の隠蔽(いんぺい)、森友・加計問題に関する情報の改ざん・隠蔽などの不祥事は、組織として行われていたわけですが、もしかしたら、リーダーを務める人物が劣化しているという個人の問題なのかもしれません。

だとすれば、そうではない人を組織のトップに据えれば問題はないという指摘にも一理はあります。

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でも、なぜそれで問題が解決しないのかということが重要です。そもそも、組織は基本的に成長を目指すものであり、これは反論の余地がないことだと思います。成長とは全くポジティブな言葉であって、これを否定的に捉える人はほとんどいないでしょう。

でも人間や動物の成長のメカニズムを生物学的なレベルで考えてみると、成長という現象を全く別の言葉でも言い表すことができるのです。それは老化です。老化と成長は、生物学的には基本的に同じメカニズムで起こるものです。

ところが私たちは、成長をポジティブに評価する一方で、老化を非常にネガティブに捉えています。でも本来は老化も成長も、生物として起こっているメカニズムは同一なので、成長は望むけれども老化は嫌だと言うわけにはいきません。

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トップの二流化こそ問題

これを組織の問題として考えてみると、エントロピーの増大という問題が発生することになるんだろうと私は思います。エントロピーとは「乱雑さの度合い」を表す熱力学上の概念で、エントロピーの増大とは、物事がどんどん雑多になり平均化していくプロセスを言います。

たとえば、水と熱湯を混ぜるとぬるま湯になってしまうように、シンプルで凝縮されたものが、複雑で希薄なものに不可逆的に変化していくことです。

この、自然界に見られるエントロピーの増大という現象が組織にも見られるのではないかということを、横浜市立大学名誉教授の物理学者・都築卓司先生が言われていますが、組織の劣化とはじつは、不可逆的なエントロピー増大のプロセスだと私は考えています。

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たとえば、厳密な定義は難しいので「レベル感」ぐらいに考えていただきたいのですが、組織における人材のクオリティの分布を考えると、まず極めて少数の一流の人がいて、少数の二流の人がいるのに対し、三流の人が大多数を占めます。

ここでグラフのX軸に人材のクオリティを取り、左から三流、二流、一流とプロットしていくと、真ん中の二流が平均値となり、最も数の多い、釣り鐘型の正規分布のカーブを描くと思われがちですが、実際に組織の分析を行うと、三流が最も多く二流は少数、一流は極めて少数という、ロングテールな右肩下がりの曲線を描くパレート分布になります。

こうした組織の中で、一流の人、二流の人、三流の人の関係がどうなっているのかを見ると、一流の人は、自分が周囲にどう見られているかについてあまり興味がない半面、二流の人は一流の人に対して憧れと嫉妬の入り混じった微妙な感覚を持っています。

その一方で三流の人は、一流の人については「どうもよく分からない人たちだ」と感じている半面、二流の人については「この人たちこそ本物の一流だ」と思い込んでいる構図になります。

ちなみに、会社を起業し成長させることは、一流の人にしかできないので、会社がスタートアップしてからある程度のところまで伸びていく過程では、必ず一流の人か、場合によっては二流の人を組み合わせて会社を引っ張っていくわけです。

ところが時間が経ち、起業時に会社の牽引役となった一流の人たちが引退していくようになると、三流の人たちからちやほやされる二流の人たちが組織のトップに就くようになります。

その結果、二流の人たちが会社をリードし、その脇を三流の人たちが固めるという構造ができあがり、一流の人たちには活躍の場が与えられないということが起こってくるのです。

つまり二流の人たちによって、一流の人たちが排除され、組織の中から淘汰されていくわけです。その結果、組織の中で世代交代が起きるたびに、人材のクオリティが低下していくことは避けられません。

したがって、よほど意識的になって天才や才人を人選に担ぎ出さなければ、その組織の人材クオリティの平均値は、限りなく凡人の水準に近づいていくことになります。

*第3回目以降はをご覧ください。

*本記事は、2018年8月20日に開催されたNewsPicksアカデミアのイベント「ビジネスパーソンのためのアート×哲学〜劣化するオッサン社会の処方箋〜」を編集したものです。イベントの全編は、より視聴可能です。