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オッサンの行動・思考様式

山口 皆さんよろしくお願いします。オッサン、オッサンと言っていながら、そもそも私がオッサンの年齢なのですが、中高年の男性を十把一絡げにして議論するのはさすがに無理があると思います。

オッサンとは、デモグラフィック(人口統計学的)な定義での「中高年の男性=オジサン」という意味ではありません。今日ここで行う話でも、新著『劣化するオッサン社会の処方箋』でも、ある種の行動様式・思考様式を持った「特定の人物像」と定義しています。

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オッサンに関するすべての要素を持っている人もいるでしょうし、この中のいくつかの要素を持っている人もいると思います。

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これらを読んでいただいても分かるとおり、オッサンとは男性や女性、あるいは年齢が何歳かということにかかわらず、ある種の思考様式あるいは行動様式に関する定義です。

かつてGHQ(連合国軍総司令部)の最高司令官を務めたマッカーサー将軍は、米国の詩人サミュエル・ウルマンの「青春(Youth)」という詩を愛し、執務室に掲げていたという逸話がありますが、その作品の冒頭にはこう記されています。

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心のありさまを言う。 優れた創造力、逞しき意志、燃ゆる情熱、怯えをしりぞける勇気、安易を振り捨てる冒険心…、これを青春と言う。 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて人は老いる」

私のオッサンの定義は、ウルマンの言っているYouth、青春の条件を失った人たちだと考えてもらえればいいと思います。

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増え続けるキレるオッサンたち

最近の日本では、50代、60代、場合によっては70代の「いい年をしたオッサン」による不祥事が後を絶ちません。

たとえば、森友・加計問題に関する情報の改ざん・隠蔽(いんぺい)、日大アメフト部監督による暴行指示と事件発覚後の雲隠れ、財務事務次官や狛江市長などの高位役職者によるセクハラ、神戸市や横浜市の教育委員会等によるいじめ調査結果の隠蔽。

あるいは大手メーカーによる度重なる偽装・粉飾・改ざんなども、ここ1年間で非常に目につきました。

つい最近のニュースで言うと、助成金の不正流用や暴力団との交際が報道された日本ボクシング連盟会長の傍若無人な振る舞いも話題になったと思います。

加えて、電車や航空機、あるいは医療機関といった公共の場で、ささいなことでキレて暴れるオッサンたちが目につくようになってきたのが、ここ10年ぐらいのことなんですね。

2011年11月30日付の日本経済新聞夕刊に掲載された、日本航空お客さまサポートセンターへの取材記事によれば、機内での迷惑行為の加害者は中高年男性が多く、大半の乗客は客室乗務員の注意に素直に従うものの、「うるさい」とキレるお客さんもいて、そういう人は中高年男性が圧倒的に多いというのです。

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孔子は『論語』の中に「四十にして惑わず」という言葉を残していますが、その次には「五十にして天命を知る」、さらには「六十にして耳順(みみしたが)う」と書いてあります。

「耳順う」というのは、どんな意見を言われても、素直に「なるほど、そういう考え方もあるか」と受け入れられるようになったということなのですが、ささいなことにキレて逆上している、本当に子どものような50代、60代の男性が増えているのです。

冒頭で、中高年男性を十把一絡げにするのは、議論としてはちょっと乱暴だという話をしましたが、こうした報道や昨今のさまざまな不祥事を見る限り、かつての50代、60代からイメージされる成熟した人間像やモラル、マナーからは考えられないようなことをする人が目につくような状態になっていることは確かです。

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世代間の断絶を象徴する2つの物語

では、どうしてこんなことになったのかということについて考えてみたいのですが、1つは世代論として、今の50代、60代の人たちが、どんなライフステージを歩んできたかということが重要です。

僕が非常に決定的だと思っているのが、いい大学に行って、名の知れた立派な会社に入り、そこで言われたとおりに仕事をしていれば、お金持ちになれて別荘ぐらいは持てるようになるという、「大きな物語」が1960年代から80年代にかけて存在したことです。

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この1960年代から80年代までのの間、オイルショックの一時期を除き、日本はずっと経済的に成長し続けていました。その中で、「会社や社会が示すシステムに乗っかってさえいれば、豊かで幸福な人生が送れる」と言われたのが80年代末までで、90年代初頭にバブルが崩壊してからは、ずっと経済が低迷し続けることになります。

それに対して90年代の10年間は中ぶらりんの時期で、2000年代になると、今度はグローバル資本主義のもとで、世界中の企業がさまざまな市場で戦い、敗者はどんどん脱落していくという過酷な「新しい物語」が出現してきます。

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1994年に大学を卒業した僕は、いわゆる就職氷河期第1世代で、僕の前に入社した人たちの話を直接聞く立場にありました。しかも、かつてのバブルの象徴のような電通という会社にいたので、自分の直上の世代や、もう1個上の世代の人たちが、20代、30代でどんなライフスタイルを送ってきたかがよく分かるのです。

20代、30代は、社会的な規範や世の中に対するものの見方が決まる時期であり、キャリア形成においては決定的に重要です。その時期を「会社や社会が示すシステムに乗っかってさえいれば、豊かで幸福な人生が送れる」という世界で生きてしまったことが、オッサンたちの行動様式・思考様式に決定的な影響を及ぼしているのではないかと僕は思います。

これはもちろん全般的な話であって、中には例外的な方もいるでしょう。でも興味深いことに、今の50代、60代の人たちは「大きなモノガタリ」が存在する中で20代、30代を歩んできたのに対し、今の20代、30代の人たちは過酷な「新しいモノガタリ」の中でキャリアを歩んでいるのです。

僕自身、ジェネレーションギャップや世代間の断絶を助長するような発言を慎むようによく言われますが、世代間の断絶があるということをきちんと認識したうえで、それをどう乗り越えるのかということを議論するのが、健全な危機意識の持ち方であり、しかるべき危機への対処方法だと思うのです。

そもそも「断絶があることを指摘するな」と言うこと自体、「問題が存在しないことにしろ」というのと同じで、旧日本軍に似た考え方ですね。

に続きます

*本記事は、2018年8月20日に開催されたNewsPicksアカデミアのイベント「ビジネスパーソンのためのアート×哲学〜劣化するオッサン社会の処方箋〜」を編集したものです。イベントの全編は、より視聴可能です。