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未完に終わった小泉改革

――最初に、竹中さんは著書の『平成の教訓』で、平成30年間は「まだら」な時代であり、5つの時期に分けられると書かれています。その中で小泉改革を竹中さんは当事者として経験されました。今振り返って、小泉改革をどう総括されますか?

竹中 小泉改革はある程度までは成功しましたが、未完であり、残された問題は多いと思います。

私はこの本の中で、友人のエコノミストであるロバート・フェルドマンさんが使い始めた「CRIC(クリック)サイクル」という言葉を引用させてもらっています。

平成の時代には金融危機という「Crisis(C)」が起き、不良債権処理という「Response(R)」が生じた結果、ある程度状況が改善、すなわち「Improvement(I)」されました。ところが皆がそこで安心し、社会全体が自己満足、「Complacency(C)」に陥り、改革の勢いが一気に弱まってしまったのです。

皆さんの中には、1990年代初頭にはまだ生まれていなかった方もいるかもしれませんが、いわゆるバブル崩壊は、少なくとも最初の2、3年は十分に認識できなかったのです。

当時は、政策を担う中心人物たちも、「少々景気が悪くなったが、もうひと山来れば大丈夫だ」と言っていました。ところが「これはどうも違う」ということが徐々にわかってきたのが、いわゆる「危機の5年」です。

実は、1997年から98年は、日本経済は金融危機の淵に立っており、「これでは駄目だ」「改革しなければならない」という認識が高まったのです。

過去のことは忘れられがちですが、あの頃は、新幹線のグリーン車がガラガラでした。

「明日、何が起こるかわからないからグリーン車にも乗っていられない」というほど危機感が広がっていて、「尋常ではないタイプの人物に総理大臣になってもらいたい」という声なき声に後押しされて成立したのが、あの小泉内閣だったと思います。

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竹中平蔵 1951年和歌山県生まれ。一橋大学経済学部卒業。博士(経済学)。 ハーバード大学客員准教授、慶應義塾大学総合政策学部教授などを経て、2001年小泉内閣で経済財政政策担当大臣を皮切りに、金融担当大臣、郵政民営化担当大臣兼務、総務大臣を歴任。2006年よりアカデミーヒルズ理事長、現在東洋大学教授、慶應義塾大学名誉教授。 ほか㈱パソナグループ取締役会長、オリックス㈱社外取締役、SBIホールディングス㈱社外取締役などを兼務。
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不良債権処理と金融緩和

――バブル崩壊にともなう不良債権処理が、平成における大きなターニングポイントでした。客観的に見て不良債権処理は竹中さんの一番の功績だと思います。

株価などのデータを統計的にチェックしていくと、平成30年間で、従来のトレンドでは説明できない、平成の改革のなかでも画期的な瞬間を生んだ「非連続な変化」が2回起きています。1つは、まさに不良債権処理をした時で、もう1つは日銀の黒田東彦総裁が大胆な金融緩和策を採った時です。

なぜ不良債権処理がうまくいったのかと言うと、もちろん総理大臣が立派で、きちんと指示してくれたからです。しがらみがなかったということが大きいと思います。選挙でずっと選ばれ続けている人は、しがらみがあるものです。

逆に言うと、そういうしがらみのない私のような人間に、面倒な仕事をさせた小泉さんの目の付け所はやはりすごかったと思います。

――日銀が金融政策を誤り、平成不況が長引いたという面が大きいと思いますか?

そう思っています。もちろん、これについては専門家のあいだでも議論が続いていますが、本書でも紹介しているように、日銀政策委員会の原田泰・審議委員は「日銀は間違い続けた」と明確に言い続けています。

日銀はバブルが崩壊したあとも金融を引き締め、リーマンショックの時に世界各国が大規模な金融緩和に踏み切ったにもかかわらず、日銀だけが大幅な金融緩和を行いませんでした。その結果、1ドル=70円台という超円高になったのですが、その意味で私は、日銀はかなり明確に間違っていると思います。

私の意見を申し上げると、かつて日銀は目標を与えられていませんでした。皆さんの会社でも、たとえば「営業部は今期5パーセントの売上増を達成しなさい」という目標を与えられるでしょう。その目標を達成できなければ、経営者は責任を取らなければなりません。

でも日銀の場合、目標を与えられていなかったので責任がありませんでした。だからデフレを20年間放置したにもかかわらず、誰も責任を取っていません。物価の下落は貨幣的な現象ですから、貨幣当局である日銀に間違いなく責任があります。

そこで第二次安倍内閣が一番最初に手がけたのは目標を作ることで、そこで定められたのが2パーセントのインフレ目標でした。そして、その目標を達成できそうな人物として、黒田さんが総裁に指名されたのです。

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組織の論理と労働問題

――企業にしろ何にしろ、組織が縦割りになって失敗する例が多いのは日本特有の文化的な問題だと思われますか? それとも単なる組織の問題で、組織をきちんと組み直せば、そういう問題は解決できるとお考えですか?

私の考え方は後者に近いです。たとえば財務省に入省した人は、ずっと財務省に所属し、財務省の後輩に天下り先を探してもらいます。こうしたなかで、縦割りの組織の論理が、何をおいても先に来るようになるわけです。

これは日銀も同様で、仮に日銀の総裁や局長が、他の産業で働いた経験のある人だったら、日銀のバランスシートだけを考えた行動はしないはずです。

だから私は「財務省の人は優秀だ。でも1つだけ不得意なものがある。それは財政政策だ」と。そして「日銀の人たちには私も友達が多くみんな優秀だ。でも1つだけ不得意なものがある。それは金融政策だ」とよくシニカルなジョークを言いました。

みんな優秀で、いい人たちですが、自分の庭先の話になると、組織の論理に固執して目が曇ってしまいます。

――政府の問題も大きかったわけですが、やはり経済は民間セクターが大事です。日本企業が平成の時代にここまで競争力を落とした理由をどう分析されますか?

これには非常に複雑な要因がいくつも絡んでいますが、私はやはり経営者の問題が間違いなくあったと思います。私の友人の冨山和彦さんが『会社は頭から腐る』という面白い本を書いていて、要するに上が駄目なんだと言っています。

今日ここに来ている人の多くは企業で働いていると思いますが、ほとんど全員が「うちの上の人はわかっていない」と感じているでしょう。その意味で、なぜそういう人が社長になっているのかが大きな問題で、これがまさにコーポレートガバナンスの不在から生じているのです。

社長を選ぶのは非常に大切な仕事で、アメリカ企業では次の社長を決める際、社外取締役を含む指名委員会を作り、だいたい5億円から10億円の費用をかけて、社内だけでなく社外にも適任者がいないかを調査します。

これに対し、日本では、現社長の弟分のような人が次期社長になり、さらにその人の弟分のような人が取締役になります。そのため、新社長が前社長の失敗を正すことはできませんし、現社長が悪くても取締役たちは空気を読み、あえて声を上げるようなことはしません。

だから企業の利益率が低下し、地位が低下し続けてもなお、社長が交替しないまま会社に居続けるのです。こうしたコーポレートガバナンスの不在が、日本企業の競争力低下をもたらした1つの要因です。

もう1つが雇用の問題です。要するに、人的資源の再配分、つまりリストラがなかなかできないのです。極端に言うと、企業が強い分野に特化し不採算部門をリストラしたいと思っても、会社が潰れるまで解雇はほとんど不可能。

日本企業にとって、この2つが大きなネックになっているわけですが、その弊害を象徴的に現しているのが、スタートアップ(起業)の少なさでしょう。日本ではスタートアップに加え、ビジネスを畳んで市場から退出していくビジネスクロージングも、アメリカの半分です。

つまり、新しく生まれてくる細胞も死んでいく細胞も半分ですから、新陳代謝が非常に低く、だからなかなか成長できません。ほかにも規制緩和の問題などがありますが、私はこれが、日本企業の競争力が低下した最も大きな理由だと思います。

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辞める覚悟を持って直言できるか

――平成の時代に、竹中さんほど批判された人はいないと思います。新自由主義者であるとか、弱者に優しくないとか、散々言われましたが、それはどう総括されますか? 

今でもそう言われています。本気で不良債権処理や郵政民営化を行いましたから、「こいつ、本当に腹が立つ」と思っている人が一部にいて、彼らが「ないことないこと」を言うのを面白がる人達がいるということですね。

でも私は、それも大いに結構だと思っているんです。小泉さんは当時、「竹中さん、悪名は無名に勝るからな」と何度も言ってくれました。慰められているのか茶化されているのかよくわからなかったのですが、まあ、世の中はそんなものだろうと思っています。

――竹中さんは、そういうなかで、どんどん精神的に強くなっていったのですか。慣れもあったのでしょうか?

私はごく普通の人間で、そんなに精神的に強くはありません。でも、よく若い人にも言うのですが、いつでも辞める覚悟を持っていれば、何も怖くないのです。

私は、小泉さんを信じて仕事をしたわけで、小泉さんから「もういいよ」と言われたら、いつでも辞めるつもりでいました。

最近、私のゼミの出身者の若い人から、「こんなことをやりたいのですが、会社はわかってくれません」とよく相談を持ちかけられますが、私のアドバイスはいつも簡単です。「嫌なら辞めてしまえ」と。辞める覚悟でもう一度挑戦してみることが大事だと思いますね。