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江戸時代には「逃げ場」が存在した

現代に「逃げる場所」はあるでしょうか? 

苦しむ人、居場所を追われた人、それがたとえ犯罪者であっても、ひとたびそこに入りこめば世間の力では干渉できず、犯した罪さえも責めることができなくなる空間――。

アジールとは、苦しんだ人や罪を犯した人が逃げ込む場所のこと。しくみとして定着したのは江戸時代で、代表的なのは駆込寺です。

離婚するためには夫からの離縁状が必要だった時代、離婚したい女性は寺へと逃げ込みました。調停がうまくいかない場合は妻が寺に入ってお務めをし、一定期間たつと寺のきまりで離婚が成立する。江戸時代の離婚制度の中で、駆け込み寺は公的に認められた逃げ場だったのです。

寺だけではありません。山の中、町の中にもアジールはありました。今のように監視カメラなどありませんから、自然の中や人ごみの中にまぎれてしまえば逃げることができました。

古代からアジールは存在し、中世にも寺社がアジールとして機能していたことが資料などからわかっています。今日では、ネットカフェやNPO団体などにその名が使われることもあります。

ところで、アジールは「逃げ場を必要とする人」と、「それを容認する人」がいなければ生まれません。

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近代国家の成立によってアジールは否定されましたが、それを求める人たちの気持ちは普遍的であり、時代や社会に応じて、さまざまな形でアジールは作りあげられてきました。

なぜアジールは必要だったのか。罪を犯した人や、逃げてまで生きたい人たちの「逃げ場」は、一体なぜ社会から認められたのか。そのナゾを紐解いていきましょう。

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日本の歴史においてどんなアジールが存在し、いかに機能してきたのか、以下の図のように分析することができます。

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古代や中世において、政治や恋愛など何らかの失敗をした人が世間からはなれ、出家し、仏教によって罪を浄化しようとする考え方はよく見られたものです。

俗世の外に出てしまえばそれ以上追われることはなく、その反対に、支配者側にとっては追放の意味がありました。

江戸時代になり、駆込寺というしくみができました。罪をおかした人や悪党が寺に駆け込むときは「山林!」と言いました。山林とは、その寺に出家を願い出て、いろいろあった世間とは縁を切ろうとするための言葉。

つまり駆込寺も、その精神は出家観の延長線上に位置していたものでしたが、ムラやマチができて、人と人との結びつきが深まり多様化していった時代に、より共同体内部で合理的に争いを解決していこうとする転換が行われたと思われます。

こうして発展してきたアジールの慣行は、近代になると姿を消します。近代においてアジールの機能を果たしてきたのは、他国への亡命や、孤児院や精神病棟、監獄なども含む政府による保護でした。

「異界へ追放する」だけではなく、「内部に逃げ場をつくり、罪を免除する」しくみをつくったのが江戸時代のアジールだった。

一方で「どうしてそこに入ると罪が免れるのか」を問われるのが現代社会です。慣例だから、では許されません。そうしてアジールの存在は否定されていきました。

江戸時代のアジールは、“慣例だから”容認されていたのでしょうか。そこに入りさえすれば罪や苦しみが免除される理想郷だったのでしょうか?

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出家し遁世することや、山林に入ること、つまり俗世から切り離されて無縁になるということは「自由」「楽園」的なニュアンスではなく、恐怖に近いものだったと考えられます。古代・中世の社会で無縁状態のアジールに逃げ込むのは苦行であり苦難でした。

苦しんでいる人が逃避することは、決して「苦」からの逸脱ではないのです。むしろ、アジールに逃げ込むことは「苦」そのものと向きあい、抱え込むことによって、人間的な成長がなされることを意味していた。

そもそもあらゆる宗教は、苦行や苦難を基盤につくられてきました。修行や苦行という形で自ら進んで「苦」を求め、それが悟りや幸福につながるという思想です。

だからこそ自分からアジールに向かい「苦」を求めることで、人間的な成長を行う行為が社会から容認されていた。

一方、近代社会では、個人が自ら「苦」を求めることすらも厳しく抑圧されています。積極的に社会に参加させることで、孤独や無力感から抜け出させることが重要だとされてきました。

果たして、それだけが本当の解決策になるのか? 

自ら進んで「苦」を求めて逃げることを積極的に認め、心の中にも外にも「アジール」(=逃避場)をつくることが、今日ますます求められているのではないでしょうか。

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人は、今もアジールに向かう

駆込寺のしくみは消えたものの、現在も、全国に多くの「縁切りスポット」が存在しています。信仰やジンクスとして、人とのつながりを切ることが残っている。

人間は、さまざまな縁に結ばれて生きています。それは時に、生きる上での深刻な苦しみをもたらすもの。縁切りスポットに行って祈ることは、“個人”の内部で解消するためのアジールなのかもしれません。

しくみとしてのアジールの姿が社会から消える一方で、アジールを求める人たちは今なお存在しています。

では「人は一体なぜ、アジールに向かうのか」? 

これが、私の次の探究テーマです。どういう経緯で人は社会から逸脱していき、どうしてアジールに向かうのか――。

アジールを紐解くことは、現代社会の犯罪者の人権をどう守るのかといった問題にもつながっていきます。と同時に、人間の本質を探究する研究でもあるのです。

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今日の授業のポイント

  • 苦しんだ人や罪を犯した人が逃げ込むのが「アジール」。江戸時代にしくみとして定着し、共同体の内部に逃げ場を設けることで、合理的に問題を解決しようとした

  • アジールは「苦」を伴う。自分からアジールに向かい「苦」を求めることで、人間的な成長を行う行為が社会から容認されていた

  • この研究は、歴史上でなぜアジールが成立したのかを紐解くと同時に、アジールに向かう人々の心情を探究することで、現代における新たな「アジール」の在り方を考えるものである

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Further reading

』平泉澄/著 至文堂

』高木侃/著 平凡社

』伊藤正敏/著 筑摩書房

』オルトヴィン・ヘンスラー/著 舟木徹男/訳 国書刊行会

』佐藤孝之/著 吉川弘文館

*連載「大人の課外授業」は、NewsPicksと「スタディサプリ進路」のコラボ企画です。スタディサプリ進路は、高校生が大学名や偏差値によらず、自分が心から取り組みたい学問や研究、学びたい教授から進路選択する行動を応援することで、「学びたい・学んでよかった」がもっと増えていく世界を創り出す挑戦をしています。今回の連載では、人々の好奇心をそそる最先端の研究を紹介することで、その世界観の一端をお伝えしていきます。