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感性を磨くことなどできない

突き詰めれば、美術は学んだり教えたりするものなのでしょうか。

「芸術に必要なのは、圧倒的に感性である」と私は考えています。そして、すぐれた美術作品とは「見る人の心を動かすもの」に他なりません。

ところが世間には、芸術を見て理解できる人がすぐれた教養の持ち主であり、作品の持つ技術や歴史を読み解くすぐれた知識があるからこそ感動できるのだ、という偏見があります。

心が動いたのは、自分の中ではなく、作品や作った側の作者側に根拠があるのだと思い込んでしまう。さらには、心の動きを「感動」などと一括りにして、わかった気になりがちです。

本当は、知識や教養があるから心が動かされるとは限らない。むしろ知識や教養が感性を邪魔することすらあり得るでしょう。美術体験とは、美術作品と対峙し、自分で見ることでしかないのです。

心が揺さぶられるのか、まったく心が動かないのか。それはその人にしかわかりません。受け取り方は見る側の自由であり、受け取る「感性」を磨くことなどできない。

あなたがあなたであるということ、美術作品を通じてあなたは何を感じるのかということ、ただそれだけです。

美術にまつわる学問として美術史や美学がありますが、これらは文献を紐解くことを中心に、研究を進める学問です。

一方、私が専門にしている美術批評・美術評論は、学問というより、むしろ文芸の一つと言えるでしょう。

自分がなぜだか言葉にしたくなる作品の前に立ち、とことんまで対峙し、どのように私が受け取っているのか、なぜ自分が魅力を感じていたのかを自分で分析し、読む対象にしていくのが美術批評・評論なのです。

私が批評の対象とするのは、一般的に「難解」「先鋭的」と言われる現代美術が中心で、現代美術はともすると「わけのわからないもの」の代名詞のような存在にもなっています。また、その裏返しにわけのわからないものの方が高尚だ、とする風潮すらあるかもしれません。

しかし、美術体験が作品との対峙であり、受け取る感性も千差万別なら、わからないものはわからないと言えば良いだけです。

「わからない」のはもしかしたら、自分が今いる場所とは異なる風土、異なる歴史によって培われたものだからかもしれません。

美術のことを頭でわかろうとしなければ、「心が動く」場合も「わからない」場合も、さまざまな問題提起の余地があります。

たとえば、不安や怒りなどの感情もそのとっかかりになります。私は大学で「20世紀美術論」や「現代美術」などの講義を通じてこんな問題提起を学生たちにしています。

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第二次世界大戦の勃発、核兵器の発明、米ソ冷戦における核の脅威……。20世紀後半になると社会は目まぐるしく変化し、我々が制御できる範囲をはるかに超えてテクノロジーが進化しました。

この時期、世界の美術も様々に多様化しています。抽象表現主義、ポップアート、ミニマリズム、アースワーク、コンセプチュアル・アート、パフォーマンスなどがその例で、どの美術の参考図書を見ても、こうした流れで解説が進んでいきます。

ところがこうした主要な動向は、すべてがアメリカ発のものです。第二次世界大戦の主要な戦場がヨーロッパであり、そこから多くの美術家がアメリカに移り住んだことを考えると特別におかしなことではありませんが、どこか行きすぎているとも思えなくはありません。美術教育そのものに偏りがあった可能性も考えられます。

日本にいる私の立場で見ると、20世紀以降の社会、そして美術はどう見えるか。

戦後の日本が迎えた、占領から復興、高度経済成長、安保闘争の挫折から最初の東京五輪、大阪万博、消費社会、情報化社会の到来。90年代に入るとグローバリゼーションの進展、戦後50年の節目に起きた阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、そして記憶に新しい東日本大震災や福島原発事故。

さらには新たなテロの出現など、20世紀以降、我々は国内外で激変する社会や環境の中を生きています。

こうした動きに、美術も非常に大きな影響を受けていると考えられます。それまで何の疑いもなく美しい風景や日常の静物を描くことができていたのが、いつ、それらが一瞬にして失われるかわからない時代になったことで、美の価値観も変化せざるを得なくなったわけです。

ですから私は「戦争と美術」「万博と美術」「震災と美術」など、社会と美術との切っても切り離せない関係を常に模索しています。

自然災害による破壊と復興を繰り返す日本では、西洋的な美術のあり方がそもそも成立するのか? 

私は疑問を抱き、美術館のあり方なども再考してきました。美術批評・美術評論というのは、私にとってその延長線上にあるのです。

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なぜ自分が惹かれるのか、に本当の価値がある

新たなメディアの台頭や、テクノロジーの飛躍的発展に伴う複製技術の普及などによって、私たちの芸術体験は大きく変わりました。

どこかで複製の、いわゆるコピーを目にしていたり、画集やテレビで作品を見ていたりした上で、「じゃあ本物を見に行こう」と美術館に向かう。

つまり本物と複製体験が逆転してしまったのです。

かといって、新たなテクノロジーに触れない、メディアを一切見ないということはできません。ではどうすればいいのか。

身近にできることでは、複製でもかまわないので、一つの作品を、できるだけ時間をかけて見ること。そして作品を前にして、漠然と思いを巡らすことです。難しくはありません。ただ、見るだけです。

気に入った作品を何時間もかけて眺めていると、不思議なことに、全く別物に見えてくることがあります。絵のこと以外のいろいろな雑念が浮かんでくるかもしれません。

そういう状態でいいのです。実は作品そのものも、整理された考えではなく雑念に近いのですから。

そうやって作品を眺めた後、あとから「なぜあの作品に惹かれたのだろう」と考えてみることが重要です。すぐに感想にまとめる必要はありません。感じたことをそのまま持ち帰り、なぜ好きなのか、自問自答を重ねていく。

そうすると次第に、自分の中に見知らぬ一面があったことに気付くことがあります。それは予想もしなかった自分かもしれません。美術作品にはそういう不思議な力があるのです。

世の中が高く評価する作品に必ずしも価値があるわけではありません。

本当の価値は、「なぜ自分が惹かれるのか」の中にあるのです。

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今日の授業のポイント

美術作品と対峙し、己の感性のまま見ることが美術体験であり、知識や理論によって感性を磨くことはできない。

☑西欧的な美術の在り方を模範とするのではなく、戦後の日本で起きた事件や出来事、事象をふまえて社会と美術との関係を問い直すことで、日本の美術の在り方に再考の余地が生まれる。

☑気に入った作品を長時間眺め、考えを巡らせ、なぜその作品に惹かれたのかを言葉にしていくことが、本来の美術体験のための基礎になるはずだ。

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Further reading

1.  小崎哲哉/著 河出書房新社

2.  久保田晃弘、きりとりめでる/共訳・編著 BNN

3.  木ノ戸昌幸/著 朝日出版社

4.  鶴岡真弓/著 青土社

5.  小林一彦/著 NHK出版

*連載「大人の課外授業」は、NewsPicksと「スタディサプリ進路」のコラボ企画です。スタディサプリ進路は、高校生が大学名や偏差値によらず、自分が心から取り組みたい学問や研究、学びたい教授から進路選択する行動を応援することで、「学びたい・学んでよかった」がもっと増えていく世界を創り出す挑戦をしています。今回の連載では、人々の好奇心をそそる最先端の研究を紹介することで、その世界観の一端をお伝えしていきます。

画像:ロバート・インディアナ≪LOVE≫1993(1968)新宿アイランド