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現代にも通ずる日本人論

野村シリーズ「未来の古典を読み直す」、今回取り上げるのは評論家の山本七平が1977年に刊行した『「空気」の研究』です。KYという言葉がある通り、日本人や日本社会に多大な影響をもたらす空気。その存在について歴史上の事例も引きながら分析した名著です。

今回は、社会学者の大澤真幸さんにお越しいただきました。大澤さんは今年3月にNHK Eテレ「100分de名著」スペシャルで本書を取り上げていらっしゃいましたね。 

大澤書かれたのは40年以上も前にも関わらず、行動が空気によって規定されるのは今も通用する日本人論だと思って紹介したのですが、非常に多くの反響をいただきました。

DSC_0082_______________社会学者・大澤真幸氏

野村それだけ多くの方に刺さったということですね。そもそも、我々にとっては当たり前の存在でもある「空気」とはどのようなものなのでしょうか。

大澤「日本人が集合的に意思決定をする際の、一番の基準となるもの」です。前提として「みんな同じ空気を読んでいるはず」という暗黙の了解があるので、それを探索する形で意思決定は行われます。

野村なるほど、集団でなにかを決める際のベースになるものだと。

大澤そうです。その空気とはどのような特徴を持つのか、今回はせっかくなので山本さんの記述をそのまま引用するのではなく、社会学者の立場から整理してお伝えできればと思います。

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空気を空気たらしめる5つの特徴

大澤まず、空気には5つの特徴があります。

1つ目は、濃厚な空気を有していればいるほど、一体感が強くなるということ。空気において重要なのは、「一緒にいる感覚」です。ただし、あくまで「感覚」の話で、必ずしも同じ空間にいなくても構いません。

たとえば、あいちトリエンナーレ2019の企画「表現の不自由展」。ここで展示された昭和天皇をモチーフにした作品について、僕たちは、「賛否はあれどみんな思うことがあるだろう」と感じますよね。それは前提として、「みんな」が日本という同じ共同体に属しているからです。おそらくその「みんな」に、海外の人は含まれていないでしょう。

野村ああ、たしかに。日本という共同体に属している者同士であれば、空間的に離れていても、一緒にいる感覚を持てるわけですね。

DSC_0077_______________NewsPicksアカデミア編集長・野村

大澤 空気の持つ2つ目の特徴は、時間の面でも空間の面でも、普遍性がないこと。つまり、空気は永続するものではないんです。

ほかの社会と比較すると分かりやすいですが、諸外国では道徳や規範をどう維持していくか、どう普遍性を持たせるかについてすごく努力をしています。一方、日本人はほとんどそういった努力していません。それは、なんとなく「今」と「ここ」の空気を読んで判断しているからです。

野村なるほど。日本人は目の前の空気にフォーカスする一方で、「過去」や「未来」に通ずる普遍性については鈍感であるということですね。

大澤3番目の特徴は、空気の判断は1つだということ。2つ以上の意見は存在せず、必ず満場一致となります。言い換えれば、この満場一致の状態が、すなわち空気が成り立っている状態であるということです。

逆に、意見が分かれている状況では、そこにはまだ空気が成立していないと言えます。あるいは、それぞれ別の空気を持った、異なる集団がいる。そのどちらかですね。

iStock-881464480(istock/bee32)

そして4番目の特徴は、個人の判断と空気の判断は異なること。僕らが日頃苦労しているところでもありますが、空気は、意見を聞いて分かるものではないんです。「私はこう思うけどみんなはそうじゃないみたい」「みんなはこう思ってるけど僕は違う」というケースはよくあると思います。

野村ああ、仕事でもありますよね。ちなみにこの場合、一番権力を持つ人が強い影響を与えるのでしょうか?

大澤たしかに空気に対して影響力の濃淡はありますが、ある特定の人や観念、事態に帰属するものではありません。空気はあくまで「みんな」が作るものです。

そして、5つ目の特徴は、基本的に暗黙であるということ。空気は「こういうものですね」と明文化しては駄目で、基本的には察するものでなければならないんです。

野村言語的に明示されてはいけない、と。

大澤空気が明示されるのは、「空気違反」が起きたときなんですよ。「お前、空気読めよ」と言われて、はじめてその場で共有されていた空気がわかる。暗黙であるべきなのに認識を合わせなければならないわけで、なかなか難しい問題です。

ここではお互いの信頼関係や、相手の人間性などに関する共通のコンテキストが必要になってきます。

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戦艦大和出撃は「空気」優先の意思決定だった

野村ここまで空気の特徴を5つ挙げていただきましたが、これらの要素は『「空気」の研究』に出てくる戦艦大和の出撃の事例にすべて含まれているなと感じました。ロジックを構築すると無謀な作戦であることは明白なのに、誰も反対できず作戦は実行に移されてしまう。

大澤戦艦大和の出撃に関する話は、ものすごくインパクトのある事例ですよね。 

戦艦大和の作戦は非合理的で、失敗したら3000人が命を落とす可能性がある。それを把握していたにも関わらず、論理よりも空気が優先されて「作戦決行」の意思決定が下されてしまう。日本人にとって、いかに空気が重要かが示されています。

iStock-906720848(istock/superwaka)

野村そういった空気がどのようなメカニズムで醸成されるのかについて、山本さんは「臨在感的把握」という難しい言葉を使っています。

大澤臨在感的把握は、目に見えないなにかが実際に存在しているように感じることです。たとえば、人骨を目の前にしたときに気分が悪くなってしまうのも、臨済感的把握をしているからで。

野村ああ、ただの「骨」なのに、そこに「なにか」を感じ取ってしまう。

大澤山本さんは、この超自然的なものが宿っているように感じるメカニズムに則って、空気を説明しています。これは非常に山本さんらしい視点ですね。

というのも、クリスチャンである彼がほかの批評家や学者と違うのは、ユダヤ教やキリスト教という一神教を背景にしながら、多神教である日本の特徴を浮かび上がらせる手法をとっている点です。

一神教では、臨在感的に物事を把握しません。超自然的なものは絶対的な神ただ一人ですから、それ以外のものに臨在感を持つことは最悪の冒涜。宗教的に許されるものではないのです。

反対に、多神教では「八百万の神」という言葉がある。超自然的なものがそこかしこに宿っていると感じる臨在感的把握は、ごく自然に行われています。

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全体の空気を作る「ワンフレーズ・ポリティクス」とは

大澤気づかないうちに臨在感的把握をしやすい例として、「言葉のマジック」が挙げられます。良いか悪いかは別として、ときどき強いスローガンが流行するじゃないですか。

たとえば小泉純一郎元首相の「自民党をぶっ壊す」というスローガン。具体的に「ぶっ壊す」とはどういうことか分からないけれど、「なんだかいいぞ」と感じてしまうでしょう。

野村たしかにワンフレーズ・ポリティクスは典型的な臨済感的把握ですね。

大澤そのワンフレーズには独特の力があり、なにかが宿っている感じがして、みんなが影響される。すると全体の雰囲気、空気が作られていきます。

第二次世界大戦時の日本も、終戦を意思決定するまでにとても時間がかかりました。そのために沖縄で大被害を受けた後、原爆が二つも落とされ、最後の数ヶ月間で非常に多くの犠牲者が出てしまった。

あのとき意思決定に携わる一人ひとりにどうすべきか聞いていったら、おそらくほとんどの人が「俺はもう終わらせたほうがいいと思う」と答えたでしょう。でも、みんなの前で口に出しては言えなかったんです。

なぜか。そのとき御前会議において臨在感的に把握されていたのが、「一撃を食らわす」というワンフレーズです。

野村「一撃を食らわす」ですか。

大澤当時の日本は連戦連敗。ボクシングのサンドバッグ状態になっていました。ここで負けたら無条件降伏になってしまう。でも、最後に蜂の一刺しができれば、多少手心が加わるのでは……。そんな論理で「一撃を食らわす」という言葉を使っていたんですね。

野村それが臨在的に把握されると、いくら無謀だと思っても反対はできませんよね。言葉が言葉以上の意味を持ち、集団の行動を規定してしまうことを示す、非常にわかりやすい事例だと思います。

(後編に続く)