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「組織が知識を創造するプロセス」を示した唯一のモデル

知識創造企業

入山 野中先生の代表的著作であり、世界中で大ヒットした書籍”The Knowledge-Creating Company(『』、1991年)”や、その後に 野中先生が発表された学術論文で提唱されてきた「SECIモデル」は、「組織が知識を創造するプロセス」を示す代表理論として、現在でも世界中の経営学者やビジネスパーソンに信奉されています。

先日、ファーストリテイリングの柳井正会長にお会いする機会があったのですが、その際も野中先生の話題になり、暗黙知の重要性について話されていました。

国内外のイノベーティブな企業の経営や、最近のデザイン思考ブーム、人工知能時代における人間のあり方の議論などを見ていると、私は「時代がようやく野中先生に追いついてきた」という印象を抱いています。

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これはお世辞で言うのではなく、イノベーションやAIとの付き合い方を考えなければいけないこれからの時代は、世界中の企業にとって野中先生のSECIモデルがさらに重要になる、と確信しています。

実際、私は昨年まで『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』誌で、世界中のメジャーな経営理論を網羅的に紹介する連載「世界標準の経営理論」を持っていました。そこで気づいたのは、「組織が知識を創造するプロセス」を体系的に示した理論はSECIモデルしかない、ということなんです。

もちろん、認知科学に基づいたクリエイティビティに関する理論は他にもあります。しかし、それらはいずれも表層的なものです。

組織における知識創造のプロセスを体系化できているのは、世界でSECIモデルしかない。知の創造がさらに求められるこれからの時代は、野中先生の理論がより注目されるのだと思います。

野中郁次郎氏

野中 「世界標準の経営理論」を書かれている入山さんからそう言っていただくと、たいへん恐縮です。私と同じように、企業人からグローバルな学者になった入山さんとは一度お話ししたいと思っていました。

『知識創造企業』の執筆当時、私は研究領域を「情報処理」から「知識創造」にシフトしていました。その中で、ナレッジの本質を突き詰めるべく、哲学を勉強するようになりました。

そうして「知とは何ぞや?」と探求しているうちに、マイケル・ポランニーの「personal knowledge(人格的知識)」としての「暗黙知」という概念に突き当たったんです。

入山 情報処理とは、まさに先の認知科学の視点ですね。その認知科学から離脱され、やがて「人格的知識」の概念に出会い、それがSECIモデルの基盤になったと。

野中 ええ。ポランニーの暗黙知が個人レベルのモデルであるのに対して、組織的な知識創造のプロセスを説明しようとしたのがSECIモデルです。

簡単に言うと「共感をもとに本質を直観し、直観した本質を概念にし、概念を理論にし、理論を実践を通じて知恵に変えていくプロセス」を表したモデルです。

私はそれを、①共同化(Socialization) ②表出化(Externalization) ③連結化(Combination) ④内面化(Internalization)の4つのフェーズに分けました。その起点は共感で、個人の知ではなく、集合知の創造モデルになっています。

*SECIモデルでは、組織が知識を創造するメカニズムを以下のように説明する。①個人やチームが持つ暗黙知を移転させる「共同化」(例:見よう見まねで共同作業をする)→ ②移転された暗黙知を形式知化する「表出化」(例:方法を言語化する)→ ③その形式知同士を連結させる「連結化」(例:言語化されたものを体系化・マニュアル化する)→ ④形式知を行動に移して、再び暗黙知化する「内面化」(例:マニュアルを元に徹底的に行動する)この4つのプロセスを繰り返すことで、組織は新たな知識を創造し、独自の強みを形成する(図表参照)。image1

入山 興味深いのは、野中先生が哲学者の山口一郎先生と最近書かれた『』で、SECIモデルを哲学の一つである「現象学」の見地から語られていることです。SECIモデルは、現象学と極めて親和性が高いのですね。

*現象学:近代の学問領域は大きく「自然科学」と「精神科学(社会科学)」に二分割されてきた。世界の認識方法も、自然科学者は「外に存在する(実在する)自然が全て」と語り、精神科学者は「心の内に存在する(内在する)自然が全て」と述べてきた。現象学ではこの二分割を否定し、自然と精神をそれぞれ、「与えられているそのままに」受け止めようと試みる。

野中 実は、『』(2010年)という本を書いているときに現象学が気になり出しましてね。

SECIモデルは共感からスタートするといえますが、共感が生まれるプロセスを考えたときに、現象学の創設者であるエドムント・フッサールが唱えた「相互主観性」という概念で説明できるのではないかと感じたんです。

ところが、現象学はジャーゴン(特殊用語)だらけで、さっぱりわからない(笑)。それで山口先生に教えを請うたんです。

入山 なるほど、そういう背景だったのですね。SECIモデルも現象学も、人と人の「共感」が根底にある——それは、これからのデジタルの時代には、非常に重要な点ですよね。

SECIモデルの基盤である「暗黙知」と「形式知」の二分法で言えば、デジタルで処理できるのは形式知で、デジタルは基本的に暗黙知を扱えない。

つまり、デジタルの時代だからこそ形式知のみで処理できる部分はデジタルに任せ、人間からなる組織は暗黙知や共感を軸にしてSECIモデルのスパイラルを回すことが重要なはずだ、と私は考えています。

野中郁次郎氏の著作

野中 最新の脳科学と現象学を結びつけて「神経現象学」を提唱した生物学者のフランシスコ・ヴァレラは、Embodied Mind(身体化された心)という概念を示しました。

「知とは何ぞや?」という疑問がニューロサイエンスで説明される理由は、やはり脳と身体はコンプリメンタリー(相互補完)ということだと思います。

デジタルを突き詰めれば突き詰めるほど、形式知の源泉は「共感(empathy)」にあるということです。

現象学は、個人の実感を出発点としましたが、たどり着いたのは自他の区別のつかない母子間に生じる「共感の世界」でした。そこから言語の発達を経て、主客分離や分析的な知性が育まれていくと考えます。

その上で「成人のレベルで、人と人とは、感性と理性を総合する共感によって主客一体になれるのか」と問います。その答えをヴァレラは神経現象学からアプローチしましたが、me-thinkingからwe-thinkingになる相互主観性を生み出すことができると主張しました。

たとえば社会心理学者のチクセント・ミハイが提唱した、スポーツ選手同士が「我を忘れて無我の境地」になる「フロー状態」のような関係がそれです。

*フロー状態:現在行なっている活動に対して完全に没頭し、最大限のパフォーマンスが発揮できている状態

入山 「貴様と俺」のような、まさに二人が一心同体になるような究極の共感の世界ですね! 興味深いです。

でも、あえてうかがいたいのですが、単なるフロー状態なら一人でも経験できますよね。たとえばランニングをしたり、一心不乱にピアノを弾いたりすることでも、人はフロー状態になれることが知られています。他方でSECIモデルや現象学は、二人以上の関係性でフローになる視点です。

野中 その通りです。ただし、それは容易なことではありません。『直観の経営』共著者である山口先生は、真の共感は全身全霊で我を忘れて物事に関わる「我-汝関係」にまでつきつめた上に成り立つと指摘しています。

その関係を組織の中につくるには、メンバー同士が絶えず自己の知力を徹底的に磨き上げて本質直観に至るようなインテレクチュアル・コンバット(知的闘争)が必要だと私は考えています。

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禅と現象学に共通する捉え方

入山章栄氏と野中郁次郎氏

入山 知的闘争!なるほど。それを通じて人は主客一体になり、究極の共感が生まれる、と。そこからSECIのプロセスを通じて知が生まれるのですね。

先ほどのヴァレラの「主客一体」の話を聞いて思い出したのが、藤田一照さんというお坊さんの話です。

藤田さんは『』などを書かれているかなり革新的な禅宗のお坊さんでして、いまアメリカの西海岸の企業から引っ張りだこなんです。確かセールスフォースやスターバックスに招かれて講演されたこともあるとか。

野中 現地では禅やマインドフルネスが流行ってますからね。

入山 ええ。以前、その藤田さんと話をしたときにおっしゃっていて興味深かったのが、禅の世界では「現世と来世は二分ではない」と捉えていることです。現世と「あの世」は本当はつながっていて、もともと分離していないのだ、と。フッサールの現象学的ですよね。

さらに言えば、われわれ人間同士も本質的には根っこのほうで全員がつながっているけれど、普段はその繋がりが海面で覆われるようにして見えず、結果的に、人と人は互いに離れた存在で「主体」と「客体」に分かれてしまっているのように見えているのだ、ということでした。

では、我々のつながりを隠しているその「海面のようなもの」は何か。禅によると、それは「人間の自我(エゴ)」だと言うんですね。自我が形成されると人と人の関係は表層しか見えなくなって、それで主体と客体のように分かれて見えているだけなんだと。

だから自我・エゴを取り去ることで主体と客体は一体化する。その状態を禅では「解脱」と呼ぶんだと説明されました。これも極めて現象学的であり、SECIモデル的です。こういう禅宗の見解を野中先生はどうお考えですか?

野中 私自身は禅仏教をそれほど深めたわけではなく、座禅を組むと逆に妄想が出てきて無心になるどころじゃないんだけれども(笑)、ヴァレラが出版した『』は3人の共著で、そのうちの1人がプロトタイプ理論を提唱した心理学者のエレノア・ロッシュです。

入山章栄氏

彼女は仏教の研究者でもあるのですが、身体性に対する洞察は、座禅も含めて実践という行為なんです。座禅に集中し、完全に一つになるときに、エゴを離れ、真の自己が成立しうるということでしょう。ヴァレラ自身も、大乗仏教の「アラヤ識(無意識)」を参照しています。

私と他者は別々の存在ですが、二項対立の論理では一体になれなくても、共感という「身体行為」では一心体になれるでしょう。だから、やわな「出会い」では無心にはなれないし、共感も覚えない。

ブレーンストーミングやデザインマネジメントなどのセミナー、あるいはワークショップから画期的なイノベーションが起こったという話が聞かれないのは、無心になるほどの直接体験が欠けているからでしょう。

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京セラのコンパ、ホンダのワイガヤの本質は「知的コンバット」

入山 なるほど……! 実は私も著書で、「経営学の実証研究でも、ブレストそのものからアイディアは出てこないという結果になっている」というようなことを書いたのですが、野中先生のお話しは全く異なる視点からそれを説明できますね。

つまり、ブレストはなんとなく「いい感じ」でやるというか、決して知的コンバットではないですよね。あくまで快適な感じでやる。

逆に野中先生が著書で書かれているような京セラのコンパやホンダの「ワイガヤ」の話を読むと、社員たちが徹底的に本気でぶつかり合う様子がよくわかります。そういう知的コンバットからフローや強い共感が生まれ、やがて知が生まれてくる、と。

野中 あのような会社では、三日三晩飲みまくるとか、本当にやるんです。そうすると、もう幼児のような状態になって、本質を求める「Why?」の意識が脳の感覚質に入ってくる。徹底的に議論を重ねるうちに、地下水のような共通感覚に到達し、互いに「そうとしかいいようがないよね」というところまで行き着くんです。

入山 ブレストやデザインマネジメントだけでは、そこまでの境地にたどり着くのは難しいでしょうね。

野中 京セラのコンパというのは、本社の12階にある百畳敷きの和室でやるんです。畳の部屋には理由があって、椅子だと自由に移動できず、身体の共振が起こらないからなんです。

その部屋で肩を寄せ合い、みんなで一つの鍋をつつき、酒を飲みながら本音で対話をする。手酌は御法度。自分の盃に注ぐのはエゴイズムの象徴だということで、ひたすら相手に注ぎまくる。それをみんなでやっているうちに、どれが誰の盃かわからなくなって、考え方もme thinkingからwe thinkingになっていく。

入山 超アナログの世界ですね(笑)。

野中 実際に現場を見なければ信用できませんから、私も京セラのコンパに参加させてもらったことがあるんですよ。

場所は創業者の稲盛和夫名誉会長の故郷、鹿児島県の国分工場でしたが、本社の和室と同じようにコンパが行われているんです。

そのとき議論したのは、「カリスマの後にイノベーションは起こるか」というテーマ。言い換えれば「稲盛さんを批判的に乗り越えよう」ということを社員たちが焼酎を飲みながらガンガンやり合っていたんです。

こういうシステムというのは、組織で後継者を育成するために時間をかけて行き着いた、いわば結晶なんですよ。

入山章栄氏×野中郁次郎氏

入山 実際にコンパに参加されてしまう行動力が、野中先生の凄いところですね。

野中 おもしろいのは、ビジネスジェット機「ホンダジェット」のプロジェクトリーダーだった藤野道格さんの話です。

アメリカでは酒を飲みながらワイガヤしたのかと私が聞いたら、そうじゃないと。酒を飲まなくても、まっとうに向き合えば全人格的な議論はできるんだと。日常の仕事の中で矛盾を解決するときは、必ず1対1で全人的に向き合ってやる。

それがワイガヤの本質なんだと話していました。

入山 なるほど、全人格をかけて議論をする、と。酒を飲めばいいという話ではない(笑)。

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個ではなく「ペア」で対話する

野中 要するに、カップリング(対化)です。現象学でも、直観や共感の根底にあるのはペアなんです。京セラの稲盛さんも、若いときはコンパに出ると、大事な議論はアメーバというチームごとに、チームでも発言者とは必ず1対1でやっていた。組織の動的単位は、一人ひとりの個ではなく、二人の共感が成立するペアではないでしょうか。

入山 なるほど! 確かに、本気で議論を戦わせようと思ったら、サシでやるしかないですよね。これも多くの人数でやるブレストとの違いですね。

野中 ジェフ・サザーランドが、我々が1986年に発表した論文をベースにして開発したアジャイル・スクラムという手法でも、核はペア・プログラミングなんです。ソフトウエア開発者と品質管理者がペアになってコンピュータを共有すると、「個」と「チーム」が同時に両立するんですね。

入山 興味深いですね。いまふと思いついたのですが、日本でかつてイノベーティブになった企業には、実質的な経営をペアでやっていたケースが多いですよね。ホンダの創業者である本田宗一郎さんと藤沢武夫さんもそうだし、ソニーの井深大さんと盛田昭夫さんもそう。

やはり、それぞれのペアの間に「全人格をかけた真剣な対話」が日々あったからだという見方はできるんですか?

野中 そう思います。ただ、カップリングは同質の組み合わせでは葛藤や矛盾が起こらないからダメなんです。異質の知が相互主観を通して「本質直観」——つまり、普遍的に妥当する直観を共有するからこそ、意味が出てくる。

入山 その「意味」はAIには創り出せない。主客一体となった人と人との真剣勝負の中からしか生み出せないということなんですね。

*後編に続きます