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ジャーナリストが生々しく描く「群像劇」

副題に「GAFAを超える最強IT企業」というそれらしい言葉が躍っている。これは売るためにとってつけたもの。内容とは無関係なので注意されたい。とはいえ、そこに本書が傑作たる所以があるのでますます注意されたい。

というのは、本書は「エンターテイメント帝国」になった今日のネットフリックスを扱ったものではないからだ。もちろん同社の現在の姿は、序章に当たる「日本語版特別寄稿:史上初のインターネットテレビ」でコンパクトにまとめられている。

ただし、本書が光を当てるのは、あくまでも1997年の創業から本格的なコンテンツ・ストリーミング・サービスが始まるまでの「ネット配信前夜」である。原書の出版は2012年。ネットフリックスがようやく海外進出に踏み切り、オリジナル作品の制作を開始した年である。

創業以来10年近くにわたり、ネットフリックスはタダの「郵便DVDレンタル屋」だった。この事実を忘れてはならない。本書がカバーするネットフリックスは「GAFAを超える最強IT企業」どころか、「コンテンツ帝国」でもなかった。

確かに勢いはあったが、DVDレンタルという「古い業界」の「新しい会社」に過ぎなかった。現在のGAFAとは比べようもない存在だった。

netflix(写真 iStock/stockcam)

成功した企業の創業期の滑った転んだの苦闘ドラマとしてよく読まれたものにフィル・ナイトがある。これはグローバル大企業として成功したナイキについてはほとんど全く触れていないが、起業家の創業物語として面白いという人が多く、評判になった。僕も面白く読んだ。

本書も創業期の苦闘を生々しく描いたという点でよく似ている。ただし、私見ではこちらのほうが『SHOE DOG』よりもはるかに面白い。

その一つの理由は、『SHOE DOG』が起業家にして経営者その人であるフィル・ナイトの回想録であるのに対して、本書はネットフリックスをずっと追いかけてきたフリーランスのジャーナリストの手によるということにあると思う。第三者の客観的な観察に基づく記述であるため、視野が広い。

ネットフリックスの成功前史の詳細な記述のみならず、同社を取り巻くダイナミックな技術や環境の変化、何より当時の競争相手だったブロックバスターとの血で血を洗う「仁義なき戦い」が余すところなく盛り込まれ、ある種の「群像劇」になっている。ここに本書の美点と面白さがある。

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郵便DVDレンタル屋から「最強IT企業」へ

「GAFAを超える」かどうかは別にして(商売の中身が相当に異なる)、現在のネットフリックスは確かに「最強IT企業」の一角を占めている。

「グローバルインターネットテレビ」のパイオニア。2018年時点での契約者は全世界で約1億4000万人。コンテンツ配信のみならず、独自コンテンツの制作費でも他社を圧倒している。エンターテイメント業界の競争構造を一変させ、ウォルト・ディズニーを脅かす存在にまでなった。

その優位は資金力ではない。膨大な顧客の利用データに強みの正体がある。誰が、どこで、何時に、何時間、どういう映画を見ているのか。どのシーンを早送りし、どの俳優を贔屓にしているのか。ビッグデータとアルゴリズムを駆使することによって契約者の行動を驚くほど精度で予測する。

従来の映画制作が出たとこ勝負のジャンケンとすれば、ネットフリックスは後出しジャンケンをしているに等しい――というのは現在の姿。

netflix(写真 iStock/JasonDoiy)

時間を戻して、ネットフリックスが「郵便DVDレンタル屋」だった当時、業界を支配していた競合企業はブロックバスターだった。実店舗のネットワークを全米に張り巡らしたブロックバスターに対して、店舗を持たずにインターネットで注文を受け付け、DVDを郵便で送るというやり方でネットフリックスは果敢に挑戦する。

ディフェンディング・チャンピオンとチャレンジャーとの丁々発止の競争の成り行きが最高に面白い。事実の詳細だけでなく、両サイドの経営陣の心情心理にまで深く踏み込んだ記述にコクがある。競争戦略の事例として、これ以上ない示唆に富んでいる。

映画にたとえれば(本作がすでに映画化されたかどうかは定かではないが、まだだとしたらぜひネットフリックスのオリジナルコンテンツで制作してもらいたい)、主演俳優はネットフリックスの創業者にしてCEOのリード・ヘイスティングスだが、影の主役ともいうべき存在がいる。迎え撃つブロックバスターのCEOだったジョン・アンティオコだ。

アンティオコは当時46歳。過剰債務や業績悪化で苦しむフランチャイズ加盟店の直営店化でセブン・イレブン(親会社はサウスランド)を再建したのを皮切りに、いくつもの企業を立て直してきた。海千山千、数多くの修羅場を踏んできたプロの経営再建請負人である。

アンティオコが乗り込んできたときのブロックバスターは長年の業界王者の地位にあって、すべてが緩み切っていた。自他ともに認めるブロックバスターのスター、シェーン・エバンジェリストという戦略担当副社長を右腕に得て、アンティオコは組織に規律を回復させ、挑戦者を正面から受け止め、次々と対抗策を打っていく。

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ディフェンディング・チャンピオンこそ「影のトレーナー」だった

ブロックバスターにしても防戦一方だったわけではない。例えば、2006年の「トータルアクセス」という戦略。実店舗を持つブロックバスターの強みを生かした店舗とオンラインのハイブリッドモデルである。

dvd(写真 iStock/Xanya69)

この戦略は消費者にとって非常にシンプルで分かりやすかった。オンラインでレンタルしても店舗でレンタルしても、すべて月額の固定料金でまかなえた。店舗でDVDを返却すれば、ボーナスとして無料で映画をレンタルできた。トータルアクセスは大成功し、短期間に追加的コストをほとんど使わず、200万人の会員を獲得した。

「帝国の逆襲」で挑戦者をダウン寸前まで追い詰めた局面もあったのである。

その都度、ネットフリックスは自分の得意技に磨きをかけ、巻き返す。ブロックバスターこそがネットフリックスをストリーミング配信の王者へと鍛え上げた「影のトレーナー」だったといってよい。競争の面白さとダイナミズムが鮮やかに浮かび上がる。アンティオコは助演男優賞に値する。

刻々と技術が進歩し競争環境が変化する中で、ネットフリックスは痺れるような意思決定で戦術的な後退や転進を繰り返し、ついに業界王者の地位についた。

しかし、戦略のコンセプト――いつでもどこでも好みのコンテンツを簡便に観ることができる――とそのための基本戦略はまったくブレていない。ただのレンタル屋だった当初から社名は「ネットフリックス」だったのである。骨太の戦略構想と、それに一歩ずつ近づいていく地道で粘り腰の経営に瞠目する。

一朝一夕の成功はない。現在の華々しい姿の背後には、長い時間軸をもった戦略ストーリーとその進化がある。変化の激しい業界にあって、原書の出版から7年も遅れた翻訳だが、いま読むことに価値がある。

本書が描くネット配信前夜に、ネットフリックスの戦略と競争優位のすべてがある。裏を返せば、この時期を知らなければネットフリックスの本当の姿は分からない。翻訳が遅れたことをむしろ喜びたい。