「正義」の哲学を問うたベストセラー
野村「未来の古典を読み直す」は、発刊当時に大ブームを巻き起こし、今も読み継がれる名著を毎回1冊ずつ取り上げる企画です。その本にまつわるゲストをお招きし、本の意義や、今読み直すとどう読めるかといった話をお送りします。
今回取り上げるのは、マイケル・サンデルの『』です。早川書房から2010年に出版、2011年に文庫化されたこの本は、経済的な利益と正義のバランスについて、世間でたいへんな議論を呼びました。
今日は、当時早川書房でこの本の編集を担当した富川直泰さんにお越しいただきました。よろしくお願いします。
富川 よろしくお願いします。実はこの春から、NewsPicksの新出版レーベル「NewsPicksパブリッシング」に副編集長として携わっています。

野村 図らずも身内が登場する形になってしまいました(笑)。
富川さんはこれまで、翻訳書を中心に手がけてきましたね。どんなジャンルのものが多かったんですか。
富川 経済や歴史、科学、哲学など、おもに堅めのノンフィクションです。経済学者ポール・クルーグマンの『』や、マット・リドレーという進化生物学者の人類史『』、ペイパル創業者ピーター・ティールの評伝『』などを担当してきました。
日本人には絶対に書けないような、ものすごく広い視点や深い視座をもったアイデアを海外から見つけ、それを日本の読者に紹介することを意識してやっています。
野村 今回取り上げる『これからの「正義」の話をしよう』は、ハーバード大学教授、マイケル・サンデル氏の人気授業「Justice」が基になっています。
「1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか?」「金持ちに高い税金を課し、貧しい人に再分配するのは公正だろうか?」など、私たちが生きるうえで直面する問題の「正義」について論じた本です。
富川さんは編集担当として、この本をどうとらえていますか。
富川 リーマンショックでみんながモヤモヤした問題に、答えを出そうとした本だと認識しています。
住宅バブルに沸いていたころはさんざん儲けていた投資銀行が、リーマンショックによってつぶれかかると、国の税金で救済されたじゃないですか。
野村 投資銀行がつぶれると経済全体にさらなる悪影響を及ぼすからと、公的資金が注入されたんですよね。
富川 にもかかわらず、その後もトップの経営者たちは高額のボーナスをもらっていた。経済の論理でいうと当然だし、経済は自由活動なので止められない。でも、一般人からしたら「道義的にどうなんだ」と、やっぱりモヤモヤしますよね。
野村 そのモヤモヤに答えを出すために多くの人が本書を求めた、というわけですね。
サンデルの主張が日本人にも刺さった理由
野村 本書には他にも「経済を自由に任せると、本当に全体最適になるのか」「本来救わなければいけない人を救えないんじゃないか」など、多くの論点が提示されていました。
富川さんが、とくに印象的だったのはどんなところですか。
富川 著者のサンデルが、人々がなぜモヤモヤするかという問題を、3つの立場に分けて考えているところです。
1つ目は「幸福の最大化」。不幸になる人が1人いたとしても、多数が幸福になるほうがいいじゃないかという考えです。
野村「ベンサムの功利主義」ですね(*)。
(*ジェレミー・ベンサム。「正義とは幸福の総和を最大化することである」と唱えた19世紀イギリスの哲学者)
富川 2つ目は「自由の尊重」。個人が自由である状態が素晴らしいという考え、つまりリバタリアニズムです。私はあなたの自由を制限しない代わりに、あなたも私の自由を制限しないでくれ、ということですね。
それまでの社会は、この2つの考えが主流でした。とくに日本人はその傾向が強く、2004年のイラク人質事件のとき、国の税金で助けられた人質は大きな非難を受けました。
野村「自己責任」という言葉が流行語になりましたもんね。
富川 でも、リーマンショックでの人々のモヤモヤを目の当たりにしたサンデルは、それまでの2つの考え方だけでは限界があるのではないかと考えます。
そこに彼は「道徳」という、ある意味ものすごく古い概念をもってきた。
みんなのモヤモヤした怒りは、公的資金の注入に「道徳」がないからじゃないかと、古臭くて誰も言葉にできなかったことをあえてバシッと言いきったんです。ここが、一番刺さりましたね。

野村 これまでの2つの概念「幸福の最大化」「自由の尊重」では切り分けられない現実があることを示したこと、誰もが無意識的に感じていた「道徳」を、改めて意識的に議論すべきだと明示したことが、この本の新しさだったんですね。
本書がリーマンショック後のアメリカで受け入れられた理由は、よくわかりました。一方で、日本人の問題意識にも合致する部分があったのでしょうか?
富川 あると思います。たとえば戦争責任問題。前の世代が起こしたアクションの結果を、当時いなかった現世代が負うべきかという議論。
震災がれき問題もそうです。自分と関係のない地域で起こった震災のがれきを、なぜ受け入れなければならないのか。でも道義的には引き受けるべきだろうと議論されますね。
野村 たしかにこの本が出た翌年、東日本大震災が起きました。経済的な議論では切り分けられない諸問題が日本にもたくさんあり、そこに道徳という補助線を引くことによって議論しやすくなるのではないか、と多くの人がこの本を手に取ったんでしょうね。
大ベストセラーを生んだマーケティングと「追い風」
野村 ところでこの本は、どれくらい売れたんですか。
富川 単行本と文庫を合わせて90万部を超えています。全世界で翻訳されていますが、とくに日本では大ヒットとなり、本国アメリカの何倍も売れました。
野村 すごい! いくら人々の共感を呼んだとはいえ、90万部なんてなかなか記録し得ない数字です。何か仕掛けたんでしょうか。
富川 下世話な話ですが、本の帯に「これが、ハーバード大学史上最多履修者を誇る名講義。」とコピーを書きました(笑)。日本人は、ハーバード大学を世界のエリートが集まる「ブランド」と認識しているので、効果はあったと思います。
野村 マーケティングの発想ですね。
富川 あと何よりラッキーだったのは、本が出る1カ月前の2010年4月から、サンデルの授業「Justice」を収録した番組「ハーバード白熱教室」が、NHKで全12回、3カ月にわたって放送されたことです。
ハーバード大学のブランドに「サンデル先生」という顔の見えるキャラクターがかけあわさったのは、そのときが初めてだったと思うんです。
野村 そうか、当時は「ハーバード大学」と聞いて顔が思い浮かぶ人がいなかったんだ。
富川 もちろん専門家の間で「ハーバードで〇〇学といえば△△先生」というのはありますが、お茶の間レベルで知られるようになったのは、サンデルがほぼ初めてでしょう。
かっこよくてスーツが似合い、片手をポケットに突っ込んで学生に「君の名前は?」と尋ねる「サンデル先生」の姿は、キャラクターとしても強烈でした。
野村 私も、今でも映像が浮かびます。

富川 しかも授業が行われるのは教室ではなく、大学の構内にある大きな劇場。そのスター性が、日本人にとくに受けたんでしょうね。
野村 まさに「劇場型」ですね。早川書房は、番組の放送開始を知っていたんですか。
富川 それが、まったく知りませんでした。もちろんアメリカで制作された元番組の存在は知っていましたが、NHKがその放映権を買ったことは直前まで知らなくて。
本が出る2カ月くらい前に情報をキャッチし、慌てて翻訳者の方にお願いして、発売を前倒ししましたが、放送開始には間に合いませんでした。
でも、それがさらなるラッキーでした。番組開始が4月、本が出たのは5月だったわけですが、ちょうど番組の内容が難しくなっていったタイミングだったんです。哲学者イマヌエル・カントの「定言命法・仮言命法」の回は、番組を見ただけでは理解できないほどでした。
その回の直後に発売された『これからの「正義」の話をしよう』は、番組の副読本としてもちょうどよかった。おかげでカントの回が放送された発売直前の時点で、Amazonで総合1位を獲得しました。
野村 番組視聴者の「なんか難しいぞ、でもかっこいいぞ、理解したいぞ」という欲求があったところに、ちょうど本が出たと。いわゆる「風が吹いた」んですね。
今、あらためてこの本を読む意義とは
野村 2010年に発刊されたこの本を、2019年の今読む意義は、どこにあると思いますか。
富川 キーワードは「分断」だと思います。アメリカでこの本の基になる講義が行われたブッシュ政権時や、本が書かれたオバマ政権発足時から状況ははるかに変わり、ポピュリズムが大きく進行しています。トランプ大統領の発言に代表されるように、世の中を「我々とあいつら」という二分法で分ける価値観が、世界では主流になりつつある。
サンデルは「価値観が多様なのは構わないし、意見の対立があるのも構わない。しかし、その2つが完全に分断され、交流がなくなることが問題だ」と考えています。
この問題は、本でいうと10章の「共通善」の話にあたるので、この章はとくに今読むべきだと感じますね。

野村 たしかにこの10年で、「分断」はかなり進行しました。トランプ大統領のように、分断の概念をもって権力を手にする人も現れ、それが加速している感もあります。
それに乗っかるタイプの人もいれば、やっぱり「何かおかしいんじゃないか」とモヤモヤを抱える人もいる。そういう人が「共通善」の章を読み直すと、今の現象を読み解くための発見があるかもしれませんね。
富川 そうですね。2010年ごろって、SNSはいろんな壁を超えて、みんなが自由に意見を言い合い、連帯できる場として期待されていましたよね。「アラブの春」でFacebookが注目されたり、オバマが大統領選キャンペーンでSNSをうまく使ったり。SNSは民主主義の希望だといわれた時期でした。
でも、思ったほど「自分と違う人」との交流や連帯は進まなかった。そればかりか、むしろ分断を促すツールになってしまった現状もあります。
野村 10年経ったいま、自分が見たい情報しか入ってこない「フィルターバブル」状態です。
富川 おっしゃるとおりで、サンデルが提起しているのは、実はフィルターバブル問題でもあるんですよね。特に次の本、『』はそういう話です。ちなみに僕、この本の直後に、フィルターバブルという概念を日本に紹介しようとして失敗したことがあります。
野村 えっ、そうなんですか?
富川 フィルターバブルという言葉の提唱者であるアメリカの左派アクティビスト、イーライ・パリサーが書いた『The Filter Bubble: What The Internet Is Hiding From You』の翻訳本を企画して、2012年に出しています。
ただ当時はまだフィルターバブルという言葉が一般的でなかったので、『』というタイトルで出しました。
これは、本来みんなをつなげるためのインターネットが、それぞれの主義主張や好き嫌いに閉じこもるための場になってしまっている、と問題提起した本です。文庫化の際、『』に改題されました。
野村 2012年にその問題を提起するとは……「早い」ですね。
富川 それが、早すぎたせいもあって、力及ばずあまり売れませんでした。日本に紹介するタイミングの「早すぎ/遅すぎ」問題は、翻訳ものの難しさです。
野村 2010年代も終わろうとしている今だと、かなりリアリティをもって受け止められそうですね。
最後に、富川さんが今注目しているテーマを教えてください。
富川 企業秘密もありますが、ぼかしていうと「進化生物学」です。
人間ってそもそも、社会的な存在である前に生物ですよね。だから生物としての性質を理解すれば、社会的な問題の答えも見つかるのではないかと考えています。
たとえば、組織の人数が150人を超えるとマネジメントが難しくなる「150人問題」。これは、動物としての人間の脳は他の個体を約150までしか認識できず、それ以上は自分の仲間とは思えなくなる構造だからこそ起こる問題だ、という具合です。
野村 それも進化生物学で説明がつくのか。おもしろいですね。人間も生物ですから、そうした進化生物学の知識を知ることで、より不自然でない生き方ができるようになると。
富川 ええ、そうです。
野村 情報がありすぎて疲れる今こそ、そういった本を読む意味がありそうですね。今日はありがとうございました。